サンタントワーヌ通りのバリケード [お出かけ風景]
サンタントワーヌ通りからシャロンヌ通りに入り、しばらく歩く。家の陰にこっそりある小道は、パサージュ・ロムの入り口。
【サブカルチャーとビクトルユゴー】
時間の許すままに、とゆっくりやってきたパリ滞在のキロク、
まだ道半ばなのに、ヘタすると一年経っちゃうコトにようやく焦りを覚え始めた今日この頃。
え?気が付くのが遅いって?!
・・・ですよね。(つω`*)
でも、
めげずにチラホラ超マイペースで参ります。(`・ω・´)
滞在中、この日だけ雨に降られました。
バスに乗るとき、なんかアヤシイなーと思ってたけど、
降りたらドドっと大降り。
せっかく日本から持ってきた折り畳み傘なのに、持ち歩いてなかったという失敗。
仕方なく、持っていた手ぬぐいをかぶりながら移動。
ケレ通りの学校みたいな建物の壁、一面にあった絵が筆のようなものでササっと描いてあって目立ったので、
マジマジ見たら、サインがニホンジンのような名前。
日本のサブカルチャーの香りのする通りだから、日本人のアーティストの作品なのかな。
ケレ通りの日本の漫画とフィギュアを扱うお店。シャロンヌ通りに戻れば、BD(タンタンなどのフランス語圏の漫画)のお店。
BD(バンド・デシネ)、日本人の漫画家も、大友克洋・松本大洋・浦沢直樹とか江口寿史とかも影響受けてるそう。
ニコラ・ド・クレシー、メビウスあたりが有名で、ここ数年でやっと日本語訳もそろってきました。
ところどころに「職人系」のお店が残る街。世界共通の傾向として、「革製品のお店は下町に多い」も当てはまりました。
しかし、今じゃ若者が集まるオシャレな街へと変貌してる場所。
サンタントワーヌ通りといえば、ユゴーの「レ・ミゼラブル」。
バリケードの歴史はここにあり、と言われるほどの場所。
蜂起した職人や民衆が、ここに巨大なバリケードを作ったとか、
通りを3つも潰すほど大きなものだったとか、
6階建ての家が3つも壊されてできたバリケードだったとか、
そういうのを、
ぼーっと妄想しながら雨上がりの散歩してきました。
サンタントワーヌ通りから、バスチーユ広場へ戻ると落ち葉が雨で鮮やか。
帰国後何気なく、確認のためにテロの現場になったカフェの場所を詳しく調べたら、
ケレ通りやシャロンヌ通りのすぐ奥!
距離にして300m弱しか離れてない場所に私ら行ってたみたい。
この数時間後にあのテロ事件が起こったとは・・・。
時間相当経ってからでしたが、冷や汗がじわっと。(゚ω゚;)
【実は若かった方々】
そして、話は戻りますが、
サンタントワーヌ散策後、またマレのBHV(パリの東急ハンズ的なお店)に寄って、またフナックへ。
日本の漫画コーナーは人気あるようで、あっちのワカモノがすごくたむろしてて、
地べたに体育座りして読んでる高校生くらいの子とか、サラリーマンふうのお兄さんとかイッパイ。
そこで、出たばかりのフランス語版・宇宙戦艦ヤマト発見。
そういえば、大昔に買ったのがあった気がして、第一巻だけ購入。
帰ってから、二冊を同時に開いて見比べて遊びました。
この場合、森ユキの「はい」は、「ウイ」じゃなくて了解したってコトで「コンプリ」になるんだ・・・
って、ことで、やることがスローでゆるいけど、一応仏語のベンキョウの教材。
そういえば、アナライザーというロボットはスターウォーズのR2-D2に似てる!
調べてみたら、スターウォーズの製作よりも、戦艦ヤマトの発表が古い・・・ってことは、
ジョージ・ルーカスさんが真似っこした?!
この話は、知ってる人は知っている有名な逸話だそう。
「宇宙空間の無重力」を無視して、地球風に描いてる点でも似通ってるし・・・(* ̄ω ̄)
それにしてもびっくりしたのは、
古代進と森ユキが17歳という設定だったこと・・・高校生やん。
しかし、それに輪をかけてびっくらこいたのは、沖田艦長の年齢が52歳だったこと!(゚ω゚;)その年齢であのヒゲの風貌!?
いや、勝手に60代くらいかなって思ってたので、えー、でした。