「liberté, égalité, fraternité」 [お出かけ風景]
2015年11月13日金曜日、正午ごろのバスチーユ広場。
【あれからひと月】
パリのテロ事件のあった日の昼間、
事件現場から歩いてすぐというバスチーユ広場にいました。
雨上がりの広場、真ん中にすっくと立つ大きなオブジェは、7月革命の記念塔。
この下には、
フランス7月革命のあった、1830年7月27・28・29日の日付、いわゆる「栄光の3日間」。
ここはバスチーユ牢獄があった場所で、
フランス革命の発端となった襲撃事件、8000人の群衆がここに集結し最後は銃撃戦。
民衆が長い時間をかけてとうとう「自由」を勝ち取った歴史的な場所です。
「自由・平等・博愛(友愛)」というフランス国家のスローガンは、この革命時期からのもの。
その一方で、
革命期の流刑の場所はマグレブと言われる、地中海を挟んだ北アフリカ中東地域だったり、
内政の不満を外に向けるために、アフリカの植民地を増やしてみたり、
長い年月に渡って中東北アフリカとの関わりがありました。
初めてパリを訪れた20年ほど前、
アフリカ系中東系ベトナム系アジア系など沢山の民族が暮らしているコトや、
モロッコなどに多い、クスクス料理が定番になっているコトに、
フランスの懐の深さを感じた気がしてました。
でも、今年1月のシャルリーエブド襲撃事件の際、
懐が深いというよりも、複雑に絡み合った一筋縄で済まない関係に思えてきたのです。
今回の件にしてもしかり、です。
「テロ」は悪である。
これは間違いはないと思うのですが、そこに至るまでの経過が抜け飛んでいたとしたら、
私はどちらか一方だけを糾弾できないと思うのです。
それと、全く話は違った方角からになりますが、
テロ集団の発生する素地というのが、貧困だと言われています。
そういう人々が暮らす場所と言うのが、砂漠化している土地の多いこと。
あんな枯れたような場所では、木を植えても苗を植えても育たないと思います。
温暖化で益々砂漠の面積が拡大すると言われている昨今、
さらに砂漠は広がり、畑も出来ず作物も収穫できない土地で、どんな仕事を得ればいいのでしょう。
しかし、逆を言えば、作物の収穫できる土地に戻れば、テロなど参加しなくてもよくなるかもしれません。
肥えた緑の大地がどれほどの価値なのか、
テロ事件ひと月を迎えたパリで温暖化対策の会議があったのは、
遠いようで、実は近い話なんじゃないのかと思ったりしておりました。
何事もなく帰宅できてから、
犠牲者の方々の多さに、改めて大きな事件だったことを実感。
今日は、哀悼の意を込めて、
フランスで「国民食」とも言えるクスクス料理をつくりました。
北アフリカ・中東近辺一帯で食べられている、元はベルベル人の食べ物だったといわれるクスクス。
モノプリで買った「クスクスオリエンタル」、ほんのりカレー風味が美味しかったので、
ちょろっとマネっこです。
「平和が沢山」、というダジャレを込めてグリーン「ピース」イッパイ。
あ。
どこぞの環境保護団体さんとは無関係です、念のため。(* ̄ω ̄)