ポルトドなんとかの謎 [お出かけ風景]
ここの奥の建物のトコロ、当時検問所のあった辺り、らしい。ローマには敵わないかもしれないけど、パリも遺跡の街だった。
【フィリップオーギュスト】
すんごい時間が空いちゃったし、
もうお蔵入りにしようかとも思ったけど、
パリのキロク、地味に挟んでストックしていきます。(*-ω-)
パリ東部、ヴィラージュ・サンポール周辺。
古風な通りですが、予想を外れずアンティーク屋さんが多い場所です。
ぎっしり詰まって停められた車に関しては、どこも同じ。
セーヌに出る手前に、小さい公園があってリセ(高校生)の女の子らしい二人が談笑中。
なんで高校生って分かったかっていうと、
すぐ近くに、シャルルマーニュ高校があって、あちこちに若い子が溢れていたから。
この柵の奥は、校庭というか運動場になっていて、
そのまた奥の高校の敷地内にフィリップオーギュストの壁があります。
フィリップオーギュストというのは、1200年代カペー朝の頃の王。
イギリスに取られたまんまだったノルマンディー地方を、奪還したのと、
そのノルマンディーからの侵略に備えて、パリの街をものすごく整備した人。
その当時パリの街はシテ島を中心に城壁に囲まれておりました。
高さは約10メートル、幅が3mにもなろうかという、
巨大な土手のような壁でパリの街をぐるっと包み込んでいた時代があったのです。
下の地図の青い線が、城壁のあったラインと言われています。
赤い四角く囲った内部の「H」部分が、シャルルマーニュ高校。壁の一部が現存している場所です。
ちなみに、前回借りたアパルトマンの場所は、
Gのちょっと左手を行ったサンジェルマン通り沿い。
ルーブルといえば今は美術館ですが、ルイ王朝の頃は宮殿。
その遥か以前のそのカペー朝の時代は要塞で、
今現在もルーブルの地下に当時の名残があるそうです。
余談ですが、シテ島の「Cite」は「シティ(City)」の語源だそう。
ところで、私が気になってたのは、
パリのメトロの名前に、
「ポルト・ド なんとか」っていうのがすごく多かったこと。
ポルト・ド・ベルシー
〃 パンタン
〃 モンマルトル
〃 ルレアン(オルレアン)
〃 ラヴィット
〃 シャラントン
〃 クリシー
〃 バニョレ
〃 モントルイユ
〃 シャティヨン
〃 ヴァンセンヌ
〃 クリニャンクール
〃 イタリー
〃 ヴァンタン
〃 トゥイユ
・・・・
「ポルト・ドなんとか」
すごくイッパイあるんですが、
実はこの「ポルト」っていうのは「門」という意味があって、
上記の全てではないのですがほぼ全部、
フィリップオーギュストの時代に、城壁につくられた門の名前だと知ったのは、つい数年前。
カタチとして立派に残っているのは、例えば北のサンドニ門など。
そのほかは、地名やメトロの駅名などに。
シャトレから北東へ伸びるメトロ11番線の12番目の駅に
「ポルト・デ・リラ」という駅があります。
(但し、ド・deではなく、複数形のデ・des )
ゲンズブールのデビュー曲の「リラの門の切符切り」。
この曲は、ポルト・デ・リラで、
一日中切符切りをしてる青年の心のうちを唄ったもの。
ポワンコニエールというのは、ポワン(穴)を開ける人という意味で、切符切りの意味。
いい具合にお年を召してきた、ゲンズブール1978年4月。
年月経た50代突入の頃、自分のデビュー曲を唄う気分はどんななんだろう。(*-ω-)
話は戻って、
前回は先ほどの、シャルルマーニュ高校の一部しか確認できませんでしたが、
レアールの当時の塔の一部、
オテルドヴィルの裏手の古い石畳、
ルーブルの要塞跡、
まだまだ自分の目で確かめに行きたい場所ばかり。
1200年代の名残を辿る旅は、
多分、そのうち、
いつかわからないけど、
続く。
待ってろよ、パリ。(*ΦωΦ*)
***************************
ただ、待ってろよといいつつ、年老いたはなちゃんの件や、
テロが完全に収まらないし非常事態宣言もまだ出たまんまの件などあり、
今年行けるかどうかは謎。
でも、またいつか行ってやる!っていうキモチはそのままで。
【近況画報】
グンマーのソウルフード。
焼きまんじゅう、
焼いてるニオイがしてるとたまらなくなり、ついつい買っちゃう。
冷めた焼きまんじゅうは、冷めたピザくらいイタダケナイ。
買い置き、おみやげは基本NG。
焼きたてじゃないと焼きまんじゅうじゃない。(* ̄ω ̄)持論。
【私信です】4月1日付の新聞見ました。先生退職お疲れ様でした!